日韓併合②
前回は第2次日韓協約まで説明をしたと思いますので、今日はその続きからお話したいと思います。
韓国は第2次日韓協約で外交権を奪われてしまいました。協約を結んだ約1年半後、ある事件が起こります。
それは…「ハーグ密使事件」です。
韓国の国王・高宗が、オランダ・ハーグで開催された万国平和会議に使者を派遣します。
なぜこのようなことをしたのでしょうか?
それは、日本に奪われた外交権を回復させるためです。
ですが、この会議に出席していた列強は、大韓帝国の外交権が日本にあること、また、大韓帝国の利益は条約によって日本政府に代表されることなどを理由に参加を拒否します。
これを受けて、1ヶ月後に"第3次日韓協約"が結ばれます。
内容は、韓国の内政権を掌握するというものでした。
また非公開の取り決めで韓国軍の解散も行われます。⇒反日武装闘争「義兵闘争」の発生(-1910年)
※この後出てくる安重根という人物も義兵闘争に加わっていました。
1908年、東洋拓殖会社(土地開発を目的とする国策会社)が設立されます。
併合前は日韓共同で経営を行っていました。
通称・東拓は、農業開発や、灌漑(かんがい)事業、金融事業を行います。
そして1909年、またもやある事件が発生します。
伊藤博文が満州で安重根という人物に暗殺されるという事件です。
当時、伊藤博文は既に韓国統監を辞めており、枢密院議長に就いていました。
1年後の1910年、ついに日韓併合条約が結ばれます。
まさかここまでで2つの記事を書くとは思いもしませんでした…
ここの部分は複雑で分かりにくいところもあるのですが、今後の話に関わってくる大切なところです。
なぜ韓国は反日なのでしょうか。
その原因の《通説》は以下の通りです。
・過酷な支配
・苛烈な収奪
・差別、強制
・伝統抹殺
果たして本当にこれらの事が行われていたのでしょうか…?
次回は、これに関する統計と実態についてお話したいと思います。
それではまた次回✋