日韓併合③

3回目にしてようやく本題に入ります!

今回は、一般的に言われている通説が本当に正しいのか詳しく見ていきたいと思います。

 

前回の最後の方に通説が載っているので、まだ見ていない方はそちらを見てから読んでくださいね!

 

それでは、通説を検証するためのいろいろな統計を見ていきましょう。

 

日本は韓国に終戦までどれだけのお金を補充したと思いますか?

答えは42020万円、約4億2000万円です。

また、終戦時に朝鮮に残した資産は約17億円に上るという試算もあります。

 

とんでもない額ですね…日本のやった事はこれだけではありません。

 

社会資本の整備を行って経済を20倍にしたり、GDPを年平均4%以上にしたり…たくさんのことを行います。

社会資本とは、産業や生活の基盤になる公共施設のことを指します。具体的に言うと、

道路・上下水道・公園・病院・学校など様々なものがあります。

社会資本を整えることによって、用水を使えるようになり水田は2倍に増えます。水田が増えると食べ物も増えるので、人口も2倍に増えました。

社会資本の整備の説明で出てきた学校については、小学校を70校から5213校まで増やしました。生徒も14万人から240万人弱まで増えたそうです。

初等教育が発達することで、識字率も4%から60%程度まで増えました。

 

ここまでの説明を見て、「あれ?日本って悪く言われるようなことしてないじゃん」って思う方が大半だと思います。

 

日韓併合が行われた1910年から終戦の1945年までの朝鮮統治で何をしたのか、次回の記事で話したいと思います!

 

それではまた次回お会いしましょう✋

日韓併合②

前回は第2次日韓協約まで説明をしたと思いますので、今日はその続きからお話したいと思います。

 

韓国は第2次日韓協約で外交権を奪われてしまいました。協約を結んだ約1年半後、ある事件が起こります。

それは…「ハーグ密使事件」です。

韓国の国王・高宗が、オランダ・ハーグで開催された万国平和会議に使者を派遣します。

なぜこのようなことをしたのでしょうか?

それは、日本に奪われた外交権を回復させるためです。

ですが、この会議に出席していた列強は、大韓帝国の外交権が日本にあること、また、大韓帝国の利益は条約によって日本政府に代表されることなどを理由に参加を拒否します。

 

これを受けて、1ヶ月後に"第3次日韓協約"が結ばれます。

内容は、韓国の内政権を掌握するというものでした。

また非公開の取り決めで韓国軍の解散も行われます。⇒反日武装闘争「義兵闘争」の発生(-1910年)

※この後出てくる安重根という人物も義兵闘争に加わっていました。

 

1908年、東洋拓殖会社(土地開発を目的とする国策会社)が設立されます。

併合前は日韓共同で経営を行っていました。

通称・東拓は、農業開発や、灌漑(かんがい)事業、金融事業を行います。

 

そして1909年、またもやある事件が発生します。

伊藤博文満州安重根という人物に暗殺されるという事件です。

当時、伊藤博文は既に韓国統監を辞めており、枢密院議長に就いていました。

1年後の1910年、ついに日韓併合条約が結ばれます。

 

 

まさかここまでで2つの記事を書くとは思いもしませんでした…

ここの部分は複雑で分かりにくいところもあるのですが、今後の話に関わってくる大切なところです。

 

なぜ韓国は反日なのでしょうか。

その原因の《通説》は以下の通りです。

 

・過酷な支配

・苛烈な収奪

・差別、強制

・伝統抹殺

 

果たして本当にこれらの事が行われていたのでしょうか…?

次回は、これに関する統計と実態についてお話したいと思います。

 

それではまた次回✋

日韓併合①

記念すべき第1回目は、「日韓併合」についてです!

なぜ日韓併合について最初に書こうと思ったか、その経緯について少しだけ…

 

端的に言うと、高校2年の冬に受けた日韓併合についての授業がとても印象的だったからです。

普段なら一つ一つの事項を事細かに教わらないのですが、この部分だけは先生が丁寧に、2時間くらいかけて話をしてくれたんです。

教科書に書いてあることや、一般に言われていることが本当に正しいのか、それらを検証していくという授業で、私は様々なことを学びました。

 

前置きが長くなりましたが、これから本題について、そしてそこで私が学んだことについて2つ話をしたいと思います。

長くなると思うのでいくつかに分けて書いていきます。

 

まず最初に「日韓併合」とは…

1910年に日本が大韓帝国を併合して統治下に置いたことです。(日韓併合協約)

この協約を結ぶ以前にも韓国に関する様々な協約を日本は結んでいます。

 

1904年2月 日韓議定書

これは日露戦争開戦直後にロシアと対立した日本が、中立を主張した朝鮮を味方にするために"強制的に"締結した条約です。

 

同年8月 第1次日韓協約

日本政府が推薦した人物を韓国の財政・外交顧問とするといった内容です。

 

1905年8月 桂・タフト協定

桂太郎首相とタフト陸軍長官(米)の会談の覚書、韓国に対する日本の指導権と、フィリピンに対するアメリカの支配を互いに承認すると言う内容です。

 

1905年8月 第2次日英同盟協約

英国は韓国に対する日本の保護権を承認し、日本は英国のインド支配を承認するという内容です。

 

同年9月 ポーツマス条約

この条約でロシアは、韓国に対する日本の保護権を承認することになります。

 

同年11月 第2次日韓協約

韓国の外交権を接収し、韓国統監府の設置します。初代統監は皆さんご存知の伊藤博文です。

 

 

まだ先はあるのですが、思ったより長くなってしまったので1回目の記事はこの辺にしておきたいと思います。

ここの部分は教科書にも書いてある一般的な事柄ばかりですが、この後の記事で通説が本当に正しいのか?ということを説明したいと思います!

初記事、拙い文章ではありますがここまで読んでくださりありがとうございました🙏

それではまた次回✋

 

 

 

はじめに

今日は共通テストまでちょうど半年となりました…

志望校に合格できるか不安なところですが、夏は基礎固めと演習に力を注ぎたいと思います!

 

それはさておき、今日からブログを開設しました!

このブログでは主に日本史について書きたいと思っています!(勿論それ以外のコンテンツも書く予定でいます)

 

更新頻度はそこまで高くは無いと思いますが、気が向いた時に読んでくれたら幸いです☺️